100年前に主流だったEV。ガソリン車に敗れた意外な理由【研究紹介】

アメリカの電力網整備があと15-20年早ければ、EVは20世紀前半の時点でガソリン車との競争に打ち勝っていただろう―――。

Nature Energyに掲載されたある研究は、このように推測しています。

いったいどういうことなのかなぜそう言えるのか

本記事では、アメリカ自動車産業の黎明期に焦点を当てたこの研究を紹介します。


電気自動車、蒸気自動車、ガソリン車:三つ巴の時代

1900年代初頭のアメリカ人にとって、「自動車」は必ずしも「ガソリン車」ではありませんでした。

電気自動車、蒸気自動車、ガソリン車が三つ巴の競争を繰り広げていたからです。

実際に当時、アメリカで生産された車両の内訳は、電気自動車が38%、蒸気自動車が40%、ガソリン車が22%とほぼ互角

1907 年モデルの電気自動車
Photo by Georg Sander

しかし、1920年代にはガソリン車が市場を独占し、電気車と蒸気車はほとんど姿を消してしまいます。

従来、この結果はガソリン車の技術的優位性によるものとされてきました。

しかし、研究者たちは新しい視点を提案しています。

それは、インフラ、特に電力網の整備状況が重要な役割を果たしたというものです。


そこまで優れていなかった初期のガソリン車

これまで、ガソリン車が市場を制覇した主な理由として、「技術的な優位性」と「価格の安さ」が挙げられてきました。

しかし、データを詳細に分析すると、これらは完全な真実ではないとのことです。

性能の比較

リチウムイオン電池のない時代のEVは、今よりも格段に性能が悪かったのは事実です。

とはいえ、1910年代ごろにはバッテリー技術の進歩により、100マイル(160キロ)程度の航続距離までは実現できていました。

これは日産サクラの航続距離と大体同じなので、街乗りには十分な水準まで到達していたことが分かるでしょう (もちろん当時の車は軽自動車よりもずっと簡素で航続距離が稼ぎやすかったですが)。

価格の比較

今でこそガソリン車は一般的に安価とされていますが、当時はどうだったのでしょうか?

確かに、T型フォードなど一部の車種は、非常に高いコストパフォーマンスで自動車を大衆化させました。

しかし、1900年代初頭の段階ではまだ明確な差はついていなかったのも事実。

車の性能を調整した価格を比較すると、電気自動車の方が競争力があった時期もあり、

ガソリン車の方が明確に安くなったのは、1920年ごろからだったのです。


都市だけのEV VS 地方でも多いガソリン車

この研究の主張は、電力インフラの整備の遅れが電気自動車の普及を妨げたという点です。

具体的には、電気自動車を製造するメーカーは電気が使える都市に限られる一方で、幅広い地域でガソリン車は製造されていたのです。

ユーラシア大陸の西端(欧州)で売る車を、ユーラシア大陸の東端(中国)で作るような現代の感覚では分かりにくいですが、

当時の自動車メーカーはその地域の需要に合わせた車を作っていましたし、逆にその地域のメーカーがどんな車を作るかは、その地域の自動車市場に大きく影響していました。

そして、ある地域の自動車メーカーがガソリン車と電気自動車のどちらを作るかは、その地域でどれだけ電気が使えるかに大きく影響を受けていたことが分析の結果明らかになったのです。

当時、アメリカでは充電ステーションが少ないどころか、都市部でも電力網の普及が遅れており、多くの地域で電気自動車の充電が困難でした。

都市部の裕福な家庭だけが電気自動車を使える状況では、需要の拡大が難しかったのです。


仮想的なシナリオ:もし電力網の整備が早ければ?

研究者たちは、電力網の整備が15〜20年早ければ(1922年レベルの電力網が1902年に実現していたら)、

電気自動車が市場をリードした可能性が高いと指摘しています。

つまり、ガソリン車の優位が確立し、ガソリンスタンドの整備も進む1920年代より前に、

電気自動車が一度便利になってしまえば、その後数十年にわたり電気自動車の覇権は続いたかもしれないということです。

もちろん、それでも航続距離の問題は残るので、全ての車が電気自動車にはならなかったでしょう。

特に都市部では電気自動車、農村部や長距離移動の需要が高い地域ではガソリン車という「住み分け」がなされたと研究者たちは予想しています。

そして、ここからは私の妄想ですが、

電気自動車の覇権がアメリカで一度確立すれば、電気自動車関連技術に投じられる資金は多くなり、逆にエンジンなどの開発に投じられる資金は少なくなるので、

車が先進各国で大衆化する戦後も、都市部での電気自動車の覇権が続いた可能性もあります。

そして、1970年ごろまで何とか覇権を維持できれば、環境問題への関心の高まりによって、ガソリン車が主流になることは永遠になかったかもしれません。



結論

自動車黎明期の歴史は、ガソリン車の普及が「歴史の必然」というよりも、様々な要因によって支えられた薄氷の上のものであることを示唆しています。

しかし、一度ガソリン車の覇権が確立するとそれを崩すのには難しく、ガソリン車の覇権が100年も続いているのも事実。

今は脱炭素社会にどのような技術が主流になるのか、水面下で激しい競争が行われている時代です。

私たちがどのような技術を選ぶのかは数十年後の世界のありようを決めてしまうのかもしれません。


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